Fondant Chocolat

「180度で12分…よーっし、準備完了ー!」

庫内の光が強くなるのを確認して、のぞみがふうっとため息をついた。

2月14日は乙女の聖戦。「お菓子は焼きたてが1番!」の食に貪欲なのぞみらしく、本命チョコはこのナッツハウスのキッチンで鋭意製作中だった。
完成まで閉め出しをくらっていたココが、のぞみの歓声を聞き付けて、廊下からひょこっと顔を出した。

「調子はどう?」

「んー…えへへ、もしかしたら今までで1番よく出来たかもっ」

ぱっと笑顔を輝かせるのぞみに、つい顔がほころぶ。キッチンにうっすらと舞う小麦粉の香りすらも、彼女を輝かせて見えた。
愛おしくのぞみの形を見つめたあと、ボウルやら泡立て機やらを持ってくるっと背を向けたのぞみは、ココの瞳が捕らえたものに対して鋭い輝きを見せたのに気付かなかった。
ココが、流しの栓を回そうと腕を伸ばしたのぞみの両手首を後ろからぱっと掴む。のぞみがびくっと身を固めた。

「…その手で、水洗いするつもり?」

明らかにぎくっとして身を固めるのぞみ。流しから遠ざけるように両腕を引き寄せた。

「えっ…大丈夫だよ?」

「…そうは見えないけどな」

その手首を掴んで持ち上げると、そっとその痛々しい指先に口付けた。ココの様子に、のぞみが肩を落とした。

「…気付いてたの?」

「…うん」

切り傷に、火傷の跡。
この日のために練習して傷付いたのだろう、指先には至る所に赤く傷ができていたのに、それらには絆創膏すら貼られていなかった。

「おいで。手当てしなきゃ」

「いいよ、大丈夫…」

「いいから」

きっとのぞみは、この怪我を僕に見つからないように絆創膏を取ったんだな。その理由がなんとなくわかる気がして、ほんの少ししょげているらしいのぞみを引いて、ココはリビングまで上がった。


「…ありがとう」

両手の傷に薬を塗って、器用に絆創膏を貼った。のぞみはちょっと残念そうに手を掲げているところに、キッチンからチーンと音がした。

 


「じゃあ…いただきます」

香りはオッケー。見た目も合格。のぞみは黙ったままあらゆるチェックポイントを一つ一つ確認していた。
ココが手を合わせてからフォークを持ち上げ、ケーキに切れ目を入れて口に運ぶ動作を、のぞみがじーっと息をつめて見つめていた。


「うん、すごくおいしいよ」

「…ほんと!?」

さっきまでしょげてたのに、のぞみはぱっと笑顔を輝かせると身を乗り出した。

「良かったー!ね、甘すぎない?ちゃんと焼けてる?チョコ片寄ってない?」
「のぞみは食べないの?」
「私はいいの。だって、ココのために作ったんだよ?」
「のぞみも食べてみなよ。すっごくおいしいから」
「んー…でもー…」
「じゃあ、味見くらいならいいだろ?はい、あーんして」

ケーキを一欠けらフォークに乗せて、ココが掲げた。ついにのぞみは誘惑に負けて口を開けた…ところまではココも本当に味見のつもりだったのだが、口を開けたのと同時にのぞみが目を閉じたのを見て、ふとあることを思い付いた。
音を立てずにフォークを皿に戻す。


「…っ」

腕を掴まれ、重なる唇から熱と一緒に与えられる、口の中に広がったのは確かにチョコレートの味だった。けれど、それは自分が計ったた砂糖の味以外にも、もっと甘く、熱く…。


「…どう?」

「……おいしい…です…」

しばらくの後、顔を真っ赤にしたのぞみの頭をいい子いい子となでて、ココがそっと耳元に唇を寄せた。

「…ありがとう」

「…」

ココを見つめたまま固まったのぞみの腕を引いて膝に乗せ、胸の中に抱く。両頬を手の平で包み、額をぶつけた。頭のてっぺんにキスをして、ココがだんだん下に唇を撫でるように這わせていく。

「…これ、大丈夫?」

キスの合間にのぞみの手を探り、指を絡める。

「うん。でも…」

…至近距離から見たら、わたしの手、本当に怪我人みたい。のぞみは情けなく思った。絆創膏を剥がしていたツケがきたかのように、ほんの少し傷口が痛んだ。

「…気付かれないようにしてたつもりなのにな…」

「…どうして?」

「だって…」

…かっこ悪いもん。
さんざん失敗したし、包丁は滑らせちゃうし、お湯は跳ねちゃうし…できればそんなの秘密にして…。ココはきっと、そんなことないよって言ってくれるだろうけど。だけど…。

また一段としょぼくれるのぞみを見て、ココがふわっと微笑んだ。

「…のぞみが痛いのは嫌だけど。…でも、それも嬉しいんだよ。ありがとう」

のぞみの頬にそっと手を添える。

「ありがとう、のぞみ」


「…ココ」

唇に触れる直前、のぞみがココを呼ぶ。ココの頬に指で触れ、閉じていた瞳を少しだけ開いた。

「…大好き」

バレンタインデーは、女の子が気持ちを伝える日だから。
ココは返事のかわりに、その温かい唇にそっと口付けた。軽く触れ合うキスから、ゆっくりゆっくりと、深さを増していく。ココの首に腕をまわして心地良く寄り掛かってくるのぞみからは、ほんのりとチョコレートの香りがした。暖房の聞いた室内に、チョコレートよりも甘く優しく、溶け出す。
視線を交えて微笑う、今日。

ハッピー、バレンタイン。