Therell never be another you.

微かに開いた口から、規則正しい寝息が聞こえる。
「ココ・・・・」
 


夕暮れの、熟れたオレンジの色に染まったナッツハウス。
西窓からとろけそうな夕陽が差し込む。

今日の体育、かなりハードな(彼女にとっては、という意味だが)持久走の練習で、彼女はナッツハウスに来るなりソファで眠ってしまったらしい。僕が職員会議を終えてここに来た時には、もうすでにこの状態だった。
他のみんなはそれぞれ用事があるとかで、今日は彼女だけがナッツハウスに来ていた。
そもそも彼女も、何か僕に授業の質問があるとかで来ていたはずだけど・・・?そろそろのぞみを起こさないといけないな、とぼんやり考えつつ行動にならない。ただ僕はずっと彼女の寝顔を見つめていた。

 

無防備な寝顔。すこし笑みを浮かべている。寝ている格好は女の子そのもの。
やすらかなその顔を見ていると、不意打ちで名前を呼ばれた。
びっくりして彼女の顔をのぞきこむ。さっきよりはっきり笑っているのが見て取れる気がした。


彼女がときおり口走る、「彼女の夢の中の僕」を呼ぶ声。
こんな時たまに、僕は彼女の夢の中の僕がうらやましくなる。その“僕”は、今何をしてるんだろう・・・。

 

あれこれと考えていると、5時を告げる塔の鐘が鳴り響いた。さすがにもう起こさなきゃな、と決心して、僕は彼女の前にしゃがみこむ。

「のぞみ、起きて。もう家に帰ったほうがいいよ。送ってくから・・・」

ゆっくりとまぶたが開いて、焦点の合わない瞳が僕を捕らえる。

「あれ・・・ココ・・・・私、寝ちゃってた・・・?」


ゆっくりと起き上がる彼女を支えながら、僕は笑う。

「寝ちゃってたよ、もう1時間はずっと。今日はもう帰って寝たほうがいいかな。体育で疲れたんじゃない?」

「うん・・・・」

まだ頭の回らなそうな顔。それからはっと目を見開く。

「あっ!!わたし、今日ココに宿題で聞きたいことがあって来たの!でも今日は職員会議だし、ナッツハウスで元の体になってから聞こうと思ってて・・・今日の授業の・・・・・・え?」

彼女の唇に指を当てて止める。

「それは明日。疲れてると要領も悪くなるし、明日また元気チャージしてからやろうよ。ね?」

ちょっと悔しそうな顔。でもすぐうなずいて、にっこり笑う。


「ありがとう、ココ。じゃあわたしもう帰るね!」

ぱっと立ち上がったと思ったら、慣れない長距離を走った影響かよろめいてしまった。
僕はさっと立ち上がって肩を支える。お互いの目が合うとぷっと吹き出す。

「のぞみはあぶなっかしいな。送るよ。陽が落ちるのも早くなったし・・・」

彼女の反論を軽く受け流してコートを羽織り、小さな右手をとって歩き出す。
最初こそ、一人で帰れるのに、とかぼやいて後ろななめを歩いていたが、やがてすぐ隣にやってくる。
何か話しかけて、満面の笑みを見せる。笑った顔が夕陽に照らされる。
僕は彼女の手を握る指に力をこめる。彼女もそれに答えるようにからめた指に力を入れる。


やっぱり彼女の隣は僕がいい。
この表情は僕だけのものにしておきたい。
夢の中の僕についてたずねてみようかな。


夢の中の僕は確かにうらやましい。うらやましいけど。
でも僕は、この世界の、こののぞみのぬくもりが欲しい。そしてそれは、今、この瞬間に、僕のすぐとなりに。この手のひらに。