この場に来たことを後悔した。見なきゃ良かった。
どうしてそう思うのか、自信はなかったが、そんなことどうでもよくなるくらい何故か後悔していた。
それなのに俺は、その場から根が生えたように身動きできないでいた。
そんな必要もないのに息を潜める。でもそんなことしなくても、俺の存在は空気みたいなもんだ。そう思った。
別に誰が聞いてるわけでもないのに(まあ俺がいるが、それは本人たちは気付いてないみたいだしな)、口を手で隠して耳の近くで内緒話してる。あいつもさも興味ありげに体傾けたりしてさ。話が終わったら二人でくすくす笑って、何がそんなにおもしろいんだ。
のぞみが肩に両手を置いて、頭をもたれて笑った。
テーブルの上にあったらしい、しおりの挟まった本をのぞみが取り上げおもむろに開くと、ココが一箇所を指差して何かを説明しだす。同じ本を覗き込む二人の頭がだんだん近くなっていく…
…なんなんだよ。どうだっていいじゃないか。視線をどうにか引き剥がして、床…だかなんだかを睨み付けた。
「くそっ…」
「…あら、言葉遣いが悪いわよ、シロップ」
「うわ!?」
背後に立っていたのは学校から今帰って来たらしいくるみだった。
「…こんな所で何してるのよ、シロップ」
「…それは…」
「…なに?」
背後で人が動く気配と、やたらと明るい声。
「あれー、帰ってたんだ、二人とも!一足先に、お邪魔してまーす!」
さっきあげた大声は当然あいつらにも届いたらしく、のぞみが階段から乗り出して手を振った。
そのすぐ後ろからココが姿を見せ、のぞみと並んで俺達を見下ろす。
「…のぞみ…」
急に声が低くなり、険しい表情になったくるみをちら見した。ぎゅっと拳をにぎりしめたのはのぞみには見えないだろう。しかしシロップが驚いたことに、くるみは一瞬にしてその表情を消し、笑っていつも通りの高い声を張り上げた。
「こら、のぞみ!ココさまのお邪魔をしてないでしょうね!?ココさまー、今お茶をお淹れします!」
そう言うとパタパタと台所に駆け込んでいく。
さっきちらりと見せた表情は何だろう。あの背中が語るものは何だろう。
「あっ…くるみー、私も手伝うよー!」
階段を駆け降りる軽い足音が妙に頭に響いた。横を擦り抜けるのぞみの髪の香りが妙に鼻についた。
「…俺の分もなー!」
苦い。
この感情を人は何と呼ぶのだろう。俺は何と呼ぶのだろう。
ココの視線を逃れ、やり場に困って見上げた窓の外には、すでに、北風が吹き始めていた。